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カッパ狛犬とインフルエンザ

常堅寺【十王堂─内景】
▲常堅寺境内社・十王堂(最上段に閻魔大王がみえる)

 蓮峰山常堅寺・丸谷住職と談話していて、本堂が南面ではなく東面している理由の不明性や、境内の十王堂とセットのカッパ狛犬といわれる狛犬が頭に皿をもつかのごとくになぜつくられたのかなど、小さな謎がいくつもあることが話題となった。カッパ狛犬の表情はお世辞にもかわいげがあるとはいえない、いえないどころか、かなり凶暴なゾンビ的面つきをしているとはわたしの感想──。

常堅寺【十王堂─カッパ狛犬】Ⅰ

常堅寺【十王堂─カッパ狛犬】Ⅱ
▲十王堂を護るカッパ狛犬

 帰りの車中、つよい悪寒を感じ風邪をひいたかとおもいながら倉庫アパートへもどると、いきなり体が動かなくなった。体中の要所の骨が全部折れた感覚というべきか、要するに立つも座るもならず、ようやく布団にもぐりこんだものの高熱が追い打ちをかけてくる。意識がややかすんだ状態だったが、こういうときはただ眠るしかないと自分に言い聞かせた。しかし、いざ眠ろうとするものの、病魔襲来があまりに唐突であったし、これはカッパ狛犬の祟りかなどと、おそろしく非現実的な発想も浮かんできて、よく眠れたものではない。カッパ狛犬に無理解のまま悪口を言った(思った)のはわるかったななどと殊勝にも反省したりしている。以下は、三十九度という高熱のなかでのカッパ狛犬への妄想言で、だれもこれは信じてならない話である。
 中世の自由仏教の雄・曹洞宗が教線の拡大を図るためにとった方法が、すでに廃寺となっていた天台宗寺院を再興し、その寺院を曹洞宗寺院として新たに定立してゆくというものだった。常堅寺境内に十王堂が残存していることに、ここがかつて天台宗の寺院であったことがよく表れている。天台宗がそこに寺院を建立するとき、その地にはすでに神まつりが先行していたはずで、それは常堅寺の地も例外ではなかった。天台宗寺院によって、この地の最重要な神はどこへ行ったかといえば十王堂に封印されたとみるしかない。この神は水霊神であり、純な神まつりからすれば東面してまつられる神だった。それが十王堂に封印されたのである。それを守護する狛犬はこの神を信奉する民の比喩でもあろうか。あるいは水霊神の眷属神とみたててカッパ化の形象となったものか、さらに想像をたくましくしていえば、頭をえぐられるのは、自由な思考を封殺されるのと一緒だろう。途方もない怒りを湛えた狛犬の表情は尋常でない。ひょっとすると、これはもともと、カッパを意図した造型ではなかったのかもしれない。
 高熱の猛威は次の日も収まらず、ニュースでは、埼玉県の某病院で院内感染、インフルエンザによる発熱のため高齢の女性が亡くなったといっている。このときはじめて、わたしは自分の症状が風邪の類ではないかもしれないとおもいはじめた。そもそも風邪とインフルエンザのちがいをよくわかっていなかった自分だった。ネットで検索していたら、中外製薬「インフルエンザ情報サービス」にたどりついた。そこには「インフルエンザと“かぜ”(普通感冒)とは、原因となるウイルスの種類が異なり、通常の“かぜ”(普通感冒)はのどや鼻に症状が現れるのに対し、インフルエンザは急に38~40度の高熱がでるのが特徴」とある。
 ほかに「主な症状」として、悪寒・頭痛・筋痛・関節痛、高度な全身痛・倦怠感などが列挙されているが、どれ一つあてはまらないものはない。合併症としては、気管支炎・インフルエンザ肺炎・細菌性脳炎・脳症が挙げられている。発症二日目にして、わたしはインフルエンザについての学習をすることになった。しかし、学習したからといって症状が改善されるわけではない。ワクチン注射をしに病院まで出掛けてゆく体力の余力もないし、そもそもクスリというものを信用していない自分がいる。
 部屋を隔離病棟のようにしてひたすら眠ることを心がけるも、「高度な全身痛」のため睡眠はぶつ切れ状態だ。体を横にしていてできるのは「考えること」くらいだろう。現代の情報社会は、このインフルエンザ感染による高熱はせいぜい四日の寿命らしいことを教えてくれる。
 しかし、庶民感覚で少し時間を巻き戻してみるならば、こういった得体の知れない病魔に対処するには神仏に頼るしかなかったというのは、そう古い時代の話ではない。たとえば、ただお地蔵さんに祈る、あるいは、病魔を祓う力をお不動さんに発揮してもらおうとした時代があった。ここであえて「神」をいわないのは神仏混淆をイメージしているからなのだが、このお地蔵さんやお不動さんを、本尊(釈迦牟尼仏)とは別に二つともに保有しているお寺がある。常堅寺末寺で天英山喜清院という(遠野市青笹町)。

喜清院【参道と本堂】
▲喜清院【参道と本堂】

 喜清院は藩政時代、自身の鎮守として早池峰大権現をまつっていたが、現在の境内社は白山権現と不動堂である(参道をはさんで対面してまつられている)。これら境内社との関係は不明だが、本堂の横室には、延命地蔵菩薩と不動明王像が安置されている。像高はともに三○㎝ほどの小像で、前者は寺宝とされる。『いわてのお寺さん─南部沿岸と遠野』によれば、「毎年六月二十四日、正月二十四日に地蔵講があり、信心の善男善女が参詣し盛大である」とあり、この地蔵講が過去のものでないことを告げている。像容は、半跏像で、地蔵尊としてはとても珍しい姿をしている。地母神的慈愛を感じさせる傑作像である。不動尊(不動明王)の像容は、上半身と下半身のバランスの不安定さを衣紋によって上手に隠している。しかし、そういった技術的批評は意味がなかろう。この不動明王の「眼」は死んでいない──、それがいいし、それがすべてである。

3605◆喜清院【延命地蔵尊】024
▲喜清院【延命地蔵菩薩半跏像】

喜清院【不動明王像】
▲喜清院【不動明王像】

 喜清院にはかつて早池峰大権現がまつられていた。江戸期(宝暦期)、喜清院には現在の境内社・白山権現はまつられていなかった。少なくとも、盛岡藩『御領分社堂』の記録にはそうある。消えた早池峰大権現はどこへ行ったか──。とりあえず、早池峰の「お山」へ帰ったということにしておこう。
 インフルエンザ三日目に入り、熱は下がりはじめたようだが「高度な全身痛」は相変わらずだ。ただし、自力で立ち上がれるようになったのは大きい。この三日間で口にしたのは、バナナ四本と、それまでも慣習的に愛飲していたS健美茶四リットルで、食欲メータはほとんど零を指したままだった。日頃、知らず知らずに過剰に食べているはずで、その蓄えを考えれば三日程度の絶食もどきは案外体にいいのかもしれない。高熱の洗礼によって一度壊れた全身機能が、部品をはめ直して再生してくるイメージが音をともなって聞こえてくるようだ。人体をロボットのように観念する感覚がなんとなくわかる気がしてきた。
 四日目──。インフルエンザの症状は確実に快方へと向かっている。その襲来は突然であったが、撤退の脚もかなり速いようだ。岩手県のインフルエンザ情報を調べてみると、県の情報としては「インフルエンザ流行注意報発令」(病原種はインフルエンザウイルスA)とあり、前述の中外製薬のサイトでは1月第2週から「警報」と表示されている。本格的流行はこれからなのかもしれない。
 明け方、夢の中──。この因布留縁座神は枕元にやってきて「もう行く」という。「ああ」と応えると「また来るから」という。「どうせ嫌われ者だろう、好きにしたらいい」──。もう対処の仕方はわかったからと独りごちながら、そのまま眠りの深海に下りていった──。


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