月の抒情、瀧の激情
自由な思索空間──「月の抒情、瀧の激情」へようこそ。
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遠野の小さな隠れ家へ──囲炉裏のある談話室【案】

▲早瀬川と六角牛山
転居先も決まらないまま、以前から借りていた遠野のアパートへ転がりこんで半年以上経った。この間に倉庫兼用のアパートをもう一つ借りたものの、二つ合わせての賃貸料──、これがバカにならない。
小さくてよいから土地がないものかとあちこちの細道・路地を歩いていて、やっとよしとおもえる立地の土地をみつけ、さいわいに譲ってもらうことになった。少し細長い土地だが、これは名古屋の倉庫事務所で慣れているのでまったく問題はない。
場所は早瀬川の土手に南面していて、要するに川原(河川敷公園)にすぐに下りられ、散歩やサイクリングするのによさそうだ。その気になれば釣りもできるが、盆の花火を鑑賞するには特等席となる立地のようだ。南は視界をさえぎるものがなく、川の向こうに物見山ほかがみえ、川の上流(東)方向には、遠野三山(三女神鎮座伝説)の一山である六角牛[ろっこうし]山がいい恰好で聳えている。
これから日常の風景の一齣となる早瀬川と六角牛山なのだが、早瀬川については、『遠野市史』第一巻に、次のような歴史伝承が記されている。
また、遠野町で猿ヶ石川に注ぐ早瀬川の源にある沓掛窟[くつかけあな]は、田村麻呂が征夷の時、観音像を安置した所といわれている。田村麻呂が夷賊大武[おおたけ]丸の余党を、観音の加護によって奥州七か所で討ったので、後に奥州七観音を建てたと伝えられるが、その一つが南部三閉にある、というのと関連があるのかも知れない。
早瀬川は来内[らいない]川を合流して猿ヶ石川に注いでいる。来内川の上流にあるのが来内権現こと伊豆権現、現在の伊豆神社である。同社は、早池峰神社の元社・親社ともいわれ、遠野三女神の「母神」でもある「瀬織津姫命」をまつっている。早瀬川の同義略語といってよい早川・速川だが、富山県高岡市波岡や同氷見市早仮字滝尾の速川神社、また宮崎県西都市南方の速川神社などに関係の社号がみられ、いずれも「瀬織津姫命」を祭神としている(高岡市の速川神社については氏子諸氏の総意として「瀬織津姫命」の名を伝えている)。これらは「六月晦大祓」という大祓祝詞にみられる「高山・短山[ひきやま]の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐[ま]す瀬織津比といふ神」を根拠とした社号といえよう。
遠野郷の「速川」でもある早瀬川は、その源を「沓掛窟[くつかけあな]」としていて、ここに、坂上田村麻呂伝承によって語られる観音祭祀がある(あった)。曰く、「田村麻呂が征夷の時、観音像を安置した」というものだが、田村麻呂が早瀬川の水源地にまで行って、わざわざ観音(正確には十一面観音)をまつる可能性はまったくない。そこが蝦夷の巣窟であり、その蝦夷を田村麻呂が討伐して観音をまつったとする縁起(伝説)を当地に置いていったのは、達谷窟ほかと同じく円仁に象徴される天台宗徒とみてよい。高橋崇『坂上田村麻呂』(新稿版、吉川弘文館)は、「田村麻呂建立寺社伝説は、田村麻呂本人の与[あずか]り知らぬこと」と断じていて、わたしもそうおもう。ここには、早瀬川の水源神を観音(十一面観音)に置き換え、それを田村麻呂の所業とし、自らの作為を伏せた者がいるということだろう。
早瀬川は、その上流の青笹・上郷地区においては、六角牛山を水源とする河内川・中沢川・赤沢川・猫川を合流して本流をなしているが、この六角牛山にしても、創作的な田村麻呂伝説に彩られている。同山の山神をまつる六神石神社の由緒に、それは顕著に表れている(『岩手県神社名鑑』)。
しかし、民間伝承の世界へ降りてみると、そこには強ばった田村麻呂伝説ではなく、いわゆる天女(羽衣)伝説が語られることになる。たとえば、『遠野物語拾遺』第三話にはこうある。
昔青笹には七つの池があった。その一つの池の中には、みこ石という岩があった。六角牛山のてんにんこう(天人児)が遊びに来て、衣裳を脱いでこのみこ石に掛けておいて、池にはいって水を浴びていた。惣助という男が釣りに来て、珍しい衣物[きもの]の掛けてあるのを見て、そっと盗んでハキゴ(籠)に入れて持って帰った。天人児は衣物がないために天に飛んで帰ることができず、朴[ほお]の葉を採って裸身を蔽うて、衣物を尋ねて里の方へ下りて来た。〔中略……天人児は、惣助の家で、蓮華の花から取った糸で「曼荼羅」という機を織り上げ、この別の織物をつかって本物の羽衣の衣裳を取り戻す話がはいる〕それ(衣裳)を隙を見て天人児は手早く身につけた。そうしてすぐに六角牛山の方へ飛んで行ってしまった。
この話には後日譚もあるが、詳しく知りたい人は『遠野物語拾遺』を読んでいただきたい。六角牛山が天女(天人児)の山であり、この天女が織姫的性格をもっていることが伝わってくれたかとおもうが、早瀬川の上流域には、これら田村麻呂伝説や天女伝説に加え、金や鉄にまつわる鉱産伝説もある。幾層もの伝説の闇から流れ出してくるのが早瀬川とすると、その川沿いリバーサイド(井上陽水の歌詞にあった)に風琳堂事務所を構えるというのは、これもなにかの縁かもしれない。
ここのところラフの建築間取り図をつくっていて、おもえば、名古屋で「都会の小さな隠れ家【案】」をすでに考えていたことがたたき台となっている。決して豪邸を建てるわけではない、あくまで使い勝手を優先した小さな家・事務所──、おおよその原案ができてみると、ここから少し「欲」が出てくる。それは、せっかく遠野にいるのならば、囲炉裏のある小さな部屋ができないものだろうかということだ。むろん予算のことがあるから確定とはいえないが、これはお願いする建築家との相談になる。

しかし気が早いもので、遠方からの来客時などは、囲炉裏の火を囲んで、地酒・地肴で、早池峰神についてや伝説・歴史談議でもしたら楽しかろうなどと考えはじめている。
ここ数日、雪が降ったり止んだりで、白の光景が日常の風景となってきた。沿岸部の冷え込みを肩代わりするわけにはいかないが、きっと季節に影響されてのことだろう、やはり囲炉裏の火に気持ちが傾いてきた。

▲雪化粧の六角牛山
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