月の抒情、瀧の激情
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根田茂神社──「御瀧明神」としての瀬織津姫神

▲長野峠から南東方向を望む
小野義春「水源地としての早池峰山」(『早池峰文化』第5号、所収)は、早池峰信仰を、早池峰山を基点とする「水系」に探ることを提唱した論文です。小野氏は、この「水系」の重視について、「むすび」のことばとして、次のように書いています。
早池峰山は山である。そのため多くの人びとは、天を仰いで早池峰信仰を考えているようなところがある。ところが山には水をふり分けるばかりでなく、それを貯水滲出させ、奔流させる機能があり、景観的にいっても日本人の美意識としても山水は一体であり、これを引き離すことはできない。これを視野に入れなければ、人間の山に対する思いや信仰などは理解できないのである。水を通じて流れ、水を通じて広がりを見せる山の信仰は、その水系を追うことによって解明される点が多いのは当然である。
早池峰山(1917㍍)は北上山系の首山ですが、南(遠野側)からみると、その前立山といってよい薬師岳(1645㍍)が前面に聳えています。薬師岳の古名は鶏頭山・前薬師といいましたが、遠野の早池峰神社を拝むことは、背後の薬師岳─早池峰山を拝むという信仰・拝礼ラインを構成していて、これは、いわば正統な山岳信仰ラインといえます。
このように、南北の視線で早池峰山をみますと、早池峰山の関係山は薬師岳に限られます。早池峰山─薬師岳の両山には、岩手山(2038㍍)と姫神山(1124㍍)という一対の山関係との類似性を指摘することもできます。この一対(夫婦)とみなす山関係についてはあらためてふれるとして、ここで東西の視線で早池峰山をながめてみますと、そこには「早池峰連峰」とでも名称を付けたくなるような山塊の構成を指摘できます。東から、具体的に千㍍以上の山名を拾えば、高桧山(1167㍍)、早池峰剣ヶ峰(1827㍍)、早池峰山(1917㍍)、中岳(1676㍍)、鶏頭山(1445㍍)、毛無森(1427㍍)となります。
南北の薬師岳─早池峰山、そして、東西の早池峰山を主峰とする連山をまとめて「早池峰連峰群」と仮称しますと、これら連峰群の「水系」に「山(早池峰)の信仰」を認めることができます。
小野氏は、「早池峰山のもらい水を称している内陸部最北の川が、盛岡市南部の梁[やな]川支流の根田茂[ねだも]川である。早池峰支脈の毛無森を水源としている」として、早池峰山の「水系」の一例として、根田茂川を取り上げています。
根田茂川は根田茂村にちなむ川名ですが、「紫波郡域である梁川支流の根田茂川流域の諸村は、明治以来岩手郡に編入され、現在は盛岡市の境域となっている」と指摘されるように、根田茂村は、紫波郡から岩手郡へ、そして現在は盛岡市に編入されるという変遷がみられます。
小野氏の論考は、明治十年(一八七七)に編纂された『巖手縣管轄地誌』第三号に、根田茂村の「村社」として、次の記述があることを引用しています。
根田茂神社 村社、社地六畝壹拾七歩、瀬織都[ママ]姫命ヲ祭ル、勧請年月日詳ナラス、祭日九月十五日

▲『巖手縣管轄地誌』の記載
論考は「根田茂村の村社は祭神が早池峰の女神と同体の瀬織津姫命である」として、早池峰信仰の「水系」の一つとして根田茂川があることを実証したといえます。
わたしは、この小野論考で『巖手縣管轄地誌』に「早池峰の女神と同体の瀬織津姫命」の記載があることを初めて知ったのですが、菊池展明『円空と瀬織津姫』上巻所収の「瀬織津姫神全国祭祀社リスト」には、この根田茂神社はなぜか掲載されていません。
なにかざわざわとした気分を抱えながら、戦後の昭和六十三年、岩手県神社庁によって編纂された『岩手県神社名鑑』の根田茂神社の項をみますと、そこには、祭神「水波能売命」、由緒については「不詳。明治三年(一八七〇)六月、村社列格」とあります。祭神「水波能売命」と表示されていては「瀬織津姫神全国祭祀社リスト」に収録しようもなかったわけですが、しかし、これは露骨な祭神変更といわねばなりません。
念のためとおもい、昭和十四年、岩手県神職会編纂による『岩手県神社事務提要』を開いてみますと、根田茂神社の祭神は「不詳」と記載されています。明治十年の公的記録(『巖手縣管轄地誌』)に祭神「瀬織津姫命」と記録されていた根田茂神社は、昭和十四年になると祭神「不詳」となります。北海道苫小牧市・樽前山神社においては、明治八年に「明治天皇の勅命」の名のもとに祭神が瀬織津姫神から「大山津見神」に変更されていて(詳細は『円空と瀬織津姫』上巻参照)、『巖手縣管轄地誌』の記載は、明治期初頭の祭神変更の風潮あるいは猛威をくぐりぬけた記録というべきかもしれません。
昭和十四年に祭神「不詳」と記録された根田茂神社は、昭和十六年発行の『岩手郡誌』になると、次のように書かれることになります。
根田茂神社 梁川村大字根田茂字堂ヶ沢に鎮座の村社で、水波能売命を祀る。元御瀧明神と称へしを、明治の初年に至つて現在の社号となり、明治三年六月村社に列した。境内は百八十五坪、社殿として本殿がある。例祭日は七月十五日である。
根田茂神社の神には、明治十年「瀬織津姫命」、昭和十四年「不詳」、昭和十六年「水波能売命」という変遷がみられ、戦後の『岩手県神社名鑑』が昭和十六年の『岩手郡誌』を踏襲しているという経緯がみえます。
戦後の神社誌のみをみている眼にはまったくみえない水面下のドラマが、各神社には秘められているようです。こういった瀬織津姫神にまつわる歴史ドラマを不問に付して、「水波能売命[みずはのめのみこと]」と瀬織津姫神を安直に異称同体とみなすといった杜撰[ずさん]極まりない現代風「神」論議はそれこそ論外ですが、それでも『岩手郡誌』が、祭神を「水波能売命」とするも、根田茂神の異称として「元御瀧明神と称へし」としていたことは、瀬織津姫神の性格をよく伝えていたとはいえます。
この「瀧明神」としての瀬織津姫神については、たとえば『岩手郡誌』一つに絞っても、もう一社確認できます。石川啄木の生地でもある岩手郡渋民村にある多岐神社です。
多岐神社 渋民村字大森に鎮座の無格社で瀬織津比神を祀る。口碑に宝暦年中の創立と伝へ元瀧明神と唱へた。境内三百五十八坪、社殿は本殿のみである。

▲渋民村・多岐神社
渋民村の多岐神社については、姫神山との祭祀・信仰関係が濃厚に認められますが、ここではふれないことにします。
根田茂神は多岐神社と同じく「御瀧明神」と尊称されていました。根田茂神社に関して、これだけの祭祀変遷がみえた以上、やはり一度は訪ねないわけにいきません。遠野あるいは大迫側からそこへ最短で行くには、「早池峰連峰」の西端といってよい長野峠を越えてゆく道しかないようです。
標高でいえば八百㍍くらいの長野峠から南東方向をみますと、遠野郷の薬師岳や六角牛山が重畳たる山塊の向こうにみえます。この峠道は冬期には閉鎖になるとのことで、深まる秋の中、車を走らせましたが、対向車は一台もなく、それは寂しい山道です。山は里よりも一足早い紅葉の季節を迎えていました。
清流・根田茂川沿いに細い道はつづいていて、やっと小さな集落がみえてきたときは少しほっとしました。こんな山深いところにも人が住みついていることに、不思議な感動さえおぼえます。
根田茂神社は、川に沿った道横の少し小高いところにある小さな社で、すぐにわかりました。鳥居の横には大滝・小滝の表示板があります。神社の前の根田茂川の川底には段差があって、真っ白な水煙がみえます。そこが「大滝」です。『岩手郡誌』が根田茂神を「御瀧明神」と呼んでいる伝承を拾っていたのは、この神社前の滝の神でもあることを告げていたのでしょう。

▲大滝・小滝の表示板

▲根田茂川の大滝


▲根田茂神社
地元の人に話をきくと、この「御瀧明神」は根田茂川の守護神(川の守り神)であるとのこと、また、早池峰の神と同体であることは複数の方が承知していました。ただし、具体的な神名となると正確には知らないようで、氏子の信仰実感からいえばそんなところなのでしょう。しかし、根田茂神が早池峰の神と同体であるという主張が根田茂村氏子衆の総意としますと、それを無視して「不詳」とし、あげくは「水波能売命」としたのは、当時の国家神道を体現していた神社関係者の実に不誠実な「作為」というしかありません。
北上市黒沢尻の多岐神社(と新山宮)に加え、この根田茂神社も、瀬織津姫神の全国祭祀社リストに、新たに追加されることはいうまでもありません。かつての熊野大神は、同地においては滝姫神でもありましたが、早池峰信仰圏域においては、ここでも山神であると同時に「御瀧明神」として尊崇されていたのでした。

▲根田茂川の紅葉
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