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二つの解体──遠野六畳空間から

 現在、六畳二間・1DKのアパートが遠野における住空間のすべてということで、ここで自称「下宿人」を一人抱えるというのは、それなりの自由空間を創り出すためには創意工夫を重ねる必要があります。下宿人は六畳和室の半分と押入を、自分の居住空間としてすでに確保・整備していて、残りの三畳分が、段ボール箱に囲まれたわたしの寝所ということになります。
 倉庫に一時保管してある荷物を引き取る期限は半年以内という契約で、長いような短いような猶予時間はあるものの、日々を生活する感覚は、やはり少しでも快適性を求めることになります。下宿人の当面の要望は、テレビ・洗濯機・電子レンジの三点と新聞の購読とのことで、特に洗濯機を置くスペースをつくるには、また一工夫する必要が出てきました。なぜなら、そこは書庫空間・物置として利用してきたところだからです。
 地震による室内散乱の片づけで、本の「仕分け」をかなりしたつもりでしたが、新たに運び入れた段ボール箱を少しでも減らしたいということもあって、さらなる「仕分け」を断行しました。
 せっかく片づきかけた六畳分の編集室(DK空間)でしたが、そこにはまた荷の山が積まれ、それらを睨みながら、深夜に独り酒を飲んでいる自分がいました。このDK空間は、出版社・風琳堂の編集室として対外的には開かれた場でもあり、ここを倉庫然として放置しておくわけにはいきません。
 デッド・スペースはないか──、と室内を睨んでいて気づいたのが、わたしの椅子の背後の天井までの空間でした。着想・方針が決まれば、あとは実行してみるのみです。キッチンの食器棚や和室ほかの書棚・物入れとしてバラバラにつかってきたカラーボックスを集めて積み上げていきますと、最上段の棚と天井の間は2㎝弱で収まり、これにはちょっと感動しました。かつて同じ色合いの箱をそろえて購入していたことが、ここにきて活きたというべきか、それなりにコーディネートされた書棚の雰囲気となってきました。決して高級仕様ではないが、要はセンスの問題である──、これは多分に自画自賛的な言い分ですが、自分が生活的な上昇願望をもっていないことをあらためて確認したようです。

遠野編集室◆20110615
▲遠野編集室

 暫定的な仮空間ではあるものの、編集室として少しサマになってきたかと一人悦に入っている一方で、名古屋事務所の解体は着々と進んでいるのでした。植木も木で、伸びたいように放っておけとしてきましたので、近所からはやや顰蹙を買ってきた、かつての名古屋事務所でした。都会の中の小さな森の様相を呈していた職住一体の建物も、ユンボという現代の強力機械にかかると、実にあっけないことになります。
 解体・整地の一切をまかせていたSさんから、その作業過程の一連の写真が添付メールで送られてきて、それらを眺めていたら、これも「記録」として残しておきたくおもいました。

名古屋解体【解体前の名古屋事務所】

名古屋解体【作業中─柿の木】

名古屋解体【作業中─事務所勝手】

名古屋解体【整地完了】
▲名古屋事務所解体・整地

 解体後、小判も人骨も出なかったとの報告でしたが、文字通り、ただの「土地」に還った空間をみていますと、最後の澱[おり]のように残っていた感覚も消え、踏ん切りというのはこういった感覚をいうのでしょう。
 名古屋事務所の閉鎖・解体と同時進行で進めていたのが、風琳堂のそれまでの経営形態である「法人」の解体でした。
 書店と出版社の間の「本の流通」を取り持つ問屋的存在を出版取次といいますが、この法人解体を電話で告げると、それまでの契約関係は白紙となり、精算のため本社(東京)へ一度出向くようにとのことで、久しぶりに酸素の少ない大都会へ行ってきました。
 風琳堂はこれまで、三社の出版取次会社と契約関係にありました。各担当者は例外なく、法人解体を出版の廃業とイコールと考えていたようで、法人を個人にもどすが出版はつづけるというと、少なからず面喰らったようです。
 アマゾンやブックサービスといった仮想(バーチャル)書店なども一般書店と同様で、出版取次との契約関係があってこそ、そこに本は流通しています。取次との契約関係がなくなると、こういった仮想書店から読者は本の購読ができなくなります。出版社にとって、販路が狭まるというのは一見不利となるようにみえますが、そのことを暗に踏まえた上なのでしょう、某出版取次の担当者は、なぜ法人を個人にもどすのか、その理由を聞かせよとの質問です。以下は、そのときの応答なのですが、風琳堂がこれまで出版世界と関わってきて、出版に対するどのような考えをもっているかの一端でも伝わってくれるかもしれません。
 法人を個人にもどすには二つの理由があります。一つは、読者と本の関係に関わります。つまり、読者にとって、必要な本、あるいは読みたいとおもう本の発行元・出版社が、個人経営であるか法人経営であるかはまったく関係がないということです。もう一つは、出版経営の純感覚に関わります。法人経営をつづけているかぎり、利益の有無にかかわらず、最低でも毎年18万近くを「税」として納めることが義務づけられていて、この18万を捻出するためには、いったい何冊の本を売る必要があるのかを考えますと、これは不条理ともいえることがみえてきます。つまり、極端な言い方になりますが、風琳堂は「お上」や国のために出版をしているわけではない、となります。この18万の負担ほかに耐えられず、多額の借金を抱えて文字通り廃業した出版社は数多くあり、風琳堂は同じ轍を踏むつもりはないということです。
 これら二点の理由は、地方あるいは東京からは僻遠の地にいて、なお全国を相手に出版をするといった、新たな出版の可能性を探るという「想い」とも関わっています。東北・岩手という地方にいて、いやどの地方にいてもかまわないのですが、さらにいえば、心ある読者の地平に立って、今回、新たに出版(社)をリセットしたいと考えている──。
 某取次担当者への応答の概要は以上なのですが、ここでおもわぬ展開となったことも書き添えておく必要がありそうです。
 担当者は「ちょっと失礼します」といってどこかへ姿を消したあと、経理責任者と精算のことを話していたのですが(読者からの注文対応以外に風琳堂は本の出荷をしておらず、取次からすれば買掛、風琳堂からすれば売掛の残額はかなりある)、打ち出したデータによれば、昨年の風琳堂への返本は6冊しかない、にもかかわらず、これだけの支払い保留をしていたことに初めて気づいた、来月早々に支払うといった約束話をしていました。取次への送料は出版社持ち、風琳堂は1冊の注文でも即対応で出荷してきた、待っている読者のことを考えて、少しでもスピーディな「本の流通」となるように是非内部改善をしていただきたい、最後だから、これだけはお願いしますといった話がなされていました。
 この間、十分か十五分くらいだったでしょうが、もどってきた担当者から、話を一八〇度ひっくりかえすようで申し訳ないが、契約は継続という決済が下りたとのことです。取次と出版社との契約は法人対法人が常識で、個人出版社との契約は前例がないが、上司の決断でそのように決まった旨を話すのでした。その上司の方は御社内で責任のある方ですねと念を押したあと、その英断に深謝したことはいうまでもありません。このあとは冗談話ですが、前例がなければつくればいいだけで、経営形式がどうかなどということは出版(社)の本質にはまったく関係がないことを再度述べて面談を辞したのでした。
 残りの二社は社内で検討後返事をするとのことで、現在、最終結論はまだ出ていないのですが、わたしには、一社でも建前契約を超える判断が示されたことで、帰りの新幹線は往きとちがってずいぶんと速く感じられました。
 名古屋事務所と法人の二つの解体をともかくクリアして、今、わたしは遠野の小さなアパートの一室で、これまでの荷を下ろしたことの余韻を肴にいっぱいやっています。
 遠野郷を、ある種ブランド化させてきたのは、いうまでもなく柳田国男『遠野物語』という書です。本書を文学の書として読んだのは三島由紀夫でしたが、一般には民俗学あるいは民話の書として読まれています。遠野自身、半公的機関として「遠野物語研究所」を立ち上げ、外部権威として大学の教授レベルの研究者を所長や顧問として招聘するという態度をつづけてきています。聞くところによれば、最近「遠野文化研究センター」なるものもつくられたとのことですが、古くは、1992年の世界民話博なるイベントや、現在でも観光のキャッチコピーとして「民話のふるさと遠野」がつかわれているように、遠野の「町おこし」に利用されているのが『遠野物語』という書です。
 本書の存在は遠野にとって、これからも未来への基調をなす重要な書です。わたしは『遠野物語』を、文学や民俗学の書ではなく歴史の書という読み方をしていて、いいかえれば、特に早池峰信仰あるいは遠野の歴史を考える上でとても重要な本だとおもっています。こういったわたしの読み方は、遠野の学問世界とはこれまで交差することはありませんでした。
 遠野の学問世界の研鑽成果は多くの活字(本)となっていますし、これからもつづくでしょう。ただし、官学的立場から自由になって「遠野文化」を本気で問うならば、縄文以後の古層の時間を考えても、早池峰信仰・文化をその歴史とともに考究することは避けて通れないはずです。遠野の保守的文化風土が転換を果たし、新たに「学問の自由」を生きるように動き出すのかどうか──、これについてはまた別に書く機会もありましょう。
 文化的・経済的・政治的を問わず、権威に弱い遠野、あるいは権威に媚びる遠野というイメージが消えませんが、しかし、これは平時のことで、大震災後の今は、沿岸被災地の後方支援の拠点地であることがなにごとかです。これから、日本の文化・思想がどういった途を歩むのか、遠野のそれと重ねて、この小さな空間から注視していきたくおもっています。出版の新たなステージに立つ準備が、少しずつですが、整備されつつあるのかもしれません。

遠野運動公園◆20110619
▲遠野運動公園の光景
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