月の抒情、瀧の激情
自由な思索空間──「月の抒情、瀧の激情」へようこそ。
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希望の松──陸前高田市・高田松原の「一本松」
気仙川河口域にある陸前高田市の高田松原海岸は、岩手では、白妙の砂浜がつづく海水浴場として知られています。今回の大地震による大津波は、この海岸風景をも一変させました。
砂浜には約七万本の松が生えていたのですが、そのなかでたった一本だけ生き延びた松があり、ニュースでは「奇跡の松」と報じられています。七万分の一ということを考えますと、たしかに「奇跡」というしかありません。
この「奇跡の松」は、大槌町における「ひょうたん島」と同じく、高田の人々にとっては復興のシンボルとみなされ、したがって「希望の松」とも呼ばれています。
陸前高田市の図書館には、かつて資料探索などでお世話になったこともあり、また、気仙総鎮守とされる氷上神社を訪ねたこともあり、遠野から車を走らせてみました。
陸前高田市横田町の気仙川流域には、清瀧神社・四十八瀧神社・舞出神社・多藝神社・大瀧神社の五社に瀬織津姫神がまつられていますが、これらを過ぎたあたりの川岸に、打ち寄せられた瓦礫がみえます。家々の柱や畳、なかには湯たんぽや水筒など、また根をつけたままの松などの大木が散乱しています。

▲気仙川の瓦礫
ここは、気仙川河口の高田松原からは七~八キロ遡上したところで、津波はここまできたようです。瓦礫から目を転じると、名を知らない(たぶんわたしだけ)水鳥二羽が川面をゆっくり泳いでいて、一方、川の土手には水仙がなにごともなかったように黄色い花を咲かせています。


街にまっすぐつづく道は通行止めで、迂回の指示に従って車を進めますと、これが現実であるとはなかなか了解しづらい光景の連続が目に飛び込んできます。
信号はいうにおよばず道標もありませんので、今、自分がどのあたりにいるのかさっぱりわかりません。たまたま消防署の残骸を撮影していた消防団の人がいましたので、図書館への道をきくと、それは意外にもすぐ近くでした。

▲陸前高田市立図書館(右)
立ち話ながら、彼は、行方不明者の多さや遺体捜索の困難さ、瓦礫の片付けには二年か三年はかかる、これらの瓦礫撤去がならないとなにもはじまらないといったことなどを、穏やかな表情で淡々と率直に話すのでした。わたしは最後に、あの「希望の松」はどこにありますかと尋ねると、あそこにみえるのがかつての道の駅で、その先の水門の近くにあると、指さして教えてくれました。指さしで位置がわかってしまうということに、あらためて震災の現実が迫ってきます。
また、彼によれば、一本松の樹皮には傷がみられ、さらに潮水をかぶっているため根枯れしてしまう恐れがある、しかしなんとしても保存に努めたいとして有志がすでに動いているとのことです。
その「一本松」は、津波で壊れた水門近くにたしかにありました。この水門によって津波の力が弱まったことでかろうじて残ったのかもしれませんが、そんな理由の詮索はどうでもいいことでしょう。七万分の一という奇跡的確率で、この松は生き延びて今ここに立っていること、そして、なお生きつづけようとしていることがなにごとかなのでしょう。

▲壊れた水門と「希望の松」
砂浜には約七万本の松が生えていたのですが、そのなかでたった一本だけ生き延びた松があり、ニュースでは「奇跡の松」と報じられています。七万分の一ということを考えますと、たしかに「奇跡」というしかありません。
この「奇跡の松」は、大槌町における「ひょうたん島」と同じく、高田の人々にとっては復興のシンボルとみなされ、したがって「希望の松」とも呼ばれています。
陸前高田市の図書館には、かつて資料探索などでお世話になったこともあり、また、気仙総鎮守とされる氷上神社を訪ねたこともあり、遠野から車を走らせてみました。
陸前高田市横田町の気仙川流域には、清瀧神社・四十八瀧神社・舞出神社・多藝神社・大瀧神社の五社に瀬織津姫神がまつられていますが、これらを過ぎたあたりの川岸に、打ち寄せられた瓦礫がみえます。家々の柱や畳、なかには湯たんぽや水筒など、また根をつけたままの松などの大木が散乱しています。

▲気仙川の瓦礫
ここは、気仙川河口の高田松原からは七~八キロ遡上したところで、津波はここまできたようです。瓦礫から目を転じると、名を知らない(たぶんわたしだけ)水鳥二羽が川面をゆっくり泳いでいて、一方、川の土手には水仙がなにごともなかったように黄色い花を咲かせています。


街にまっすぐつづく道は通行止めで、迂回の指示に従って車を進めますと、これが現実であるとはなかなか了解しづらい光景の連続が目に飛び込んできます。
信号はいうにおよばず道標もありませんので、今、自分がどのあたりにいるのかさっぱりわかりません。たまたま消防署の残骸を撮影していた消防団の人がいましたので、図書館への道をきくと、それは意外にもすぐ近くでした。

▲陸前高田市立図書館(右)
立ち話ながら、彼は、行方不明者の多さや遺体捜索の困難さ、瓦礫の片付けには二年か三年はかかる、これらの瓦礫撤去がならないとなにもはじまらないといったことなどを、穏やかな表情で淡々と率直に話すのでした。わたしは最後に、あの「希望の松」はどこにありますかと尋ねると、あそこにみえるのがかつての道の駅で、その先の水門の近くにあると、指さして教えてくれました。指さしで位置がわかってしまうということに、あらためて震災の現実が迫ってきます。
また、彼によれば、一本松の樹皮には傷がみられ、さらに潮水をかぶっているため根枯れしてしまう恐れがある、しかしなんとしても保存に努めたいとして有志がすでに動いているとのことです。
その「一本松」は、津波で壊れた水門近くにたしかにありました。この水門によって津波の力が弱まったことでかろうじて残ったのかもしれませんが、そんな理由の詮索はどうでもいいことでしょう。七万分の一という奇跡的確率で、この松は生き延びて今ここに立っていること、そして、なお生きつづけようとしていることがなにごとかなのでしょう。

▲壊れた水門と「希望の松」
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