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大三島・入日の滝──三嶋龍の神徳

滝山寺【入日の滝】
▲入日の滝

 讃岐二宮・大水上神社の伝承は、三嶋龍が「雨の神」(雨を司る神)であり滝宮神・滝神でもあることを伝えていました。このことを念頭において大三島にフィードバックしますと、どうしても気になってくるのが、大山祇神社の神体山である鷲ヶ頭山(四三七㍍)と安神山(二六四㍍)の間の滝山にある「入日の滝」です。ここには本尊を十一面観音とする滝山寺があります。話は仏のこととも関わりそうですので、先に、大山祇神社の神仏習合の経緯等を概覧しておきます。
     *
 大山祇神社に神宮寺ができるのは保延元年(一一三五)のことで、当初は「神供寺」の名でした。『大三島詣で』(大山祇神社々務所)は、「神宮(供)寺は四国霊場八十八ヶ寺の第五十五番札所・月光山神宮寺(他に今治市南光坊がある)として殷賑を極めた時代もあったが、明治元年の神仏分離令によって仏像・仏具その他全てが他所(東円坊…引用者)に移され」、寺は大山祇神社末社「祖霊社」になったと記しています。
 かつての神宮(供)寺の山号は「月光山」とのことで、この魅力ある山号の由来は語られていませんけれども、あるいは、寺の創建時の異様な天変と関わりがあるのかもしれません。
 大山祇神社の根本縁起書の一つ『三島宮御鎮座本縁』には、保延元年、天下はにわかに暗夜のごとくなり、日月の光を見ないこと三日におよび、虚空では軍陣の音が雷のごとくしたため、人民は、おおいに驚きおののいたとあります(筆者要約)。昼に日の光なく、夜にも月の光がない、しかも、空では軍陣の音が雷のように鳴り渡る、そんな日が三日つづいたという記録です。
 縁起書の記述ゆえ話半分に受け取るという読み方もないわけではありませんが、しかし、この天変は伊予国一国のことではなかった可能性があります。同年八月十二日には、朝廷は畿内の二十一社に「祈晴」のために奉幣していて(『中右記』…『日本文化総合年表』)、まさに「天下」に、雨に関わる天変・異変があったことは事実とみられるからです。このときの天変は、要するに、夜ばかりでなく日中を暗夜に変えるほどの尋常ならざる豪雨・雷雨がつづいたということのようです。
 この天変・異変に終止符を打ったのが大山積神でした。縁起の記述を要約しますと、この異変のとき、大山積神は、「吾は、諸々の大地祇(国津神々)を率いて、これ(天変・異変)を掃ひ除こう(祓おう)」と託宣しています。縁起は、この託宣から時をおかずに「快晴」となった、この大山積神の託宣・神威のため、遠近から当社へ参詣する人の数はおびただしく、それが数日つづいたとしています。
 大山積神の託宣が「快晴」をもたらしたことは、朝廷の「祈晴」に対応しています。縁起は、このように大山積神の神威の発現を語るわけですが、ここで注意しておきたいのは、朝廷が「祈晴」のために奉幣していたのは畿内の社々で、大山祇神社は、そこからははずれていたということです。
 縁起は、かくして伊予国の大山積神の神威が朝廷に知られるところとなり、朝廷は、藤原忠隆を勅使として派遣、報謝の「宣旨」によって、本宮および末社のすべてを新たに造営させたとしています。また、それだけではなく、本社に「雷神・高龗」を加えまつり、三社をもって「本社」とするようにという「宣旨」まであったとされます。現在みられる、本殿の三宮祭祀は、この宣旨(勅命)によるものであったことがわかるわけですが、縁起はさらに、この三宮祭祀がはじまるとき、国中の神社の傍らに「神供寺」を設けたとしています。
 この神供寺の建立について、縁起は、大山祇神社には、神供寺のほかに「一于の堂」を建て、そこに大通智勝仏(東西南北四方八方を守護するとされる仏)の像を安置し、大山積神の本地仏とした、また、摂社末社の本地仏も調え、それらを大通智勝仏の左右に並べ、この堂を「仏供院」とも「本寺堂」とも称した、これが大山祇神社の「神供寺」の初めである──、としています。
     *
 ここには山号のことは語られておらず、「月光山」という山号は後世の命名なのでしょう。ただし、三日にわたる暗夜を通常にもどした大山積神の神威は、暗夜に月光をとりもどした神威を表してもいて、それにちなんで「月光山」という山号がのちに付けられただろうことを想像しておきたくおもいます。
 朝廷が「祈晴」を期待した畿内の諸社に対して、その圏外の伊予国から自己存在をアピールするかたちとなった大山積神でした。大宝時代には、新造営の名のもとに朝廷の祭祀思想に準ずる新たな神まつりの実施を「勅命」していた朝廷でしたが、時代はすでに四百年も経っていて、いささか忘却の彼方にあったのが伊予国の大山積神でした。
 伊予国には(にも)おろそかにできない神がいることをあらためて知った朝廷の対応が、本宮・末社のすべての造営だけでなく、本社に「雷神・高龗」を加えまつることの宣旨(勅命)に表れています。縁起によれば、保延元年の天変は「雨」と「雷」という二つの現象によっていましたから、「雷神・高龗」の新祭祀が、これらに対応していたことがわかります。また、朝廷側には、『日本書紀』の次の異伝が念頭にあったことも確実でしょう。

一書(第七)に曰はく、伊弉諾尊、剣[つるぎ]を抜きて軻遇突智[かぐつち]を斬りて、三段[みきだ]に為[な]す。其[そ]の一段[ひときだ]は是[これ]雷神[いかづちのかみ]と為る。一段は是大山祇神[おほやまつみのかみ]と為る。一段は是高龗[たかおかみ]と為る。

 雷神・大山祇神・高龗神がセットで語られています。現在、大山祇神社本殿に向かって右に上津社、左に下津社をみますが、『大三島詣で』は、上津社には「大雷神。姫神」、下津社には「高龗神。姫神」をまつるとしています。これらは少し曖昧な祭神表記ですが、いわんとしているのは、上津社は「姫神である大雷神」、下津社は「姫神である高龗神」をまつるということです。
 当時、大山積神は「男神」とみなされていましたから、その神威を慰謝する意味もあって、左右に「姫神」を配したのでしょう。『三島宮御鎮座本縁』は、「雷神・高龗神ノ両社ヲ姫神ト祭ルコト当社ノ伝ニテ、内陣之事男子之ヲ勤メズ。太(大)祝始メ上官古老ノ妻女ヲ以テ、遷宮等ノ規式ヲ執成ス。平生ノ神事御戸開ニハ神女[ミコ]内陣ニ入リ、幣帛等ノ入替ヘ相勤ム」と、新たな姫神祭祀に女性をあてるなど、とても気をつかっていた様を伝えています。

大山祇神社【上津宮】
▲上津社(上津宮)

大山祇神社【下津宮】
▲下津社(下津宮)

 蛇足ながら、『愛媛県神社誌』(愛媛県神社庁、昭和四十九年)は、上津社には大雷神ではなく「天照大神」、下津社には高龗神ではなく「火子神」をまつるとしています。「雷神・高龗神」はもともと別の「姫神」ではありませんが、そのうち(大)雷神を「天照大神」としていたのは興味深いことです。なぜなら、雷神の姿に化身して託宣する伝承をもっていたのは、内宮正殿の神(天照大神)ではなく荒祭宮の神ですから、正確には、雷神に相当する神は「天照大神荒魂」ということになります。
『愛媛県神社誌』の勇み足のような記述に対して、大山祇神社の現行由緒は一切無視するという姿勢をとっていますが、こういった付加祭祀の是非よりも、保延元年に、天変の災いを「祓う」神威を顕在化させた大山積神がいたことに、本稿の関心の中心があることはいうまでもありません。
 保延元年の天変時、大山積神の託宣は、「吾は、諸々の大地祇(国津神々)を率いて、これ(天変・異変)を掃ひ除こう(祓おう)」というものでした。ここは、国津神々を率いることができる神威をもった神、しかも、天変・異変の災いを祓うことができる神威をもった神として、大山積神の秘蔵部分の神徳が突出したものと読めます。
 このときの天変・異変の実態は、尋常ならざる豪雨・雷雨でしたから、ここで、大水上神社における三嶋龍の「雨の神」という性格、つまり、雨を司るという神徳がリンクしてきます。さらにいえば、三嶋龍は、世の災いを祓う最高位の神徳を有する瀬織津姫神の異称としてあったことも重ねることができます。越智郡(当時)の津島にまつられていた大山積神社が語っていたこと、つまり、大山積神と瀬織津姫神が「∴」(言い換え)の関係にあったことが、ここでも如実に表れていたといえましょう。
 瀬織津姫という神が、多くの災いを祓う神徳をもっていることを顕著に伝えていたのが、大分県中津市の闇無浜[くらなしはま]神社でした(『闇無浜神社─由緒と歴史』所収の古伝縁起「豊日別宮伝記」)。そのなかには、「雨の神」(雨を司る神)としての神徳も当然のごとくに語られていましたし、この神の尊称として「太神竜」(大いなる龍神)の名もありました。
 保延元年の神託時、ここでの大山積神は三嶋龍(瀬織津姫神)と「=」(イコール)の関係にあったこと、これもほぼ断定できるものとおもわれます。
 ところで、大山祇神社境内には楠の巨木が散見されます。いちばん目立つのは「小千命御手植の楠」で、これは境内のほぼ中心に聳えています。『大山祇神社略誌』の説明を読んでみます。

小千命御手植の楠
 小千命は神武天皇御東征にさきがけて祖神大山積神を大三島に祀り、その前駆をされたと伝える。境内中央に聳え御神木として崇められている。
 この楠を歴史家奈良本辰哉(辰也…引用者)は「大三島の霊水の湧き出づる源」とし、小説家井伏鱒二はエッセー「大きな木」の中で日本一の大樹だと述べている。

大山祇神社【境内─乎致命御手植の楠】
▲小千命御手植の楠

 歴史家・奈良本氏が、この大楠を「大三島の霊水の湧き出づる源」とみなしていたことは興味深いです。このことばの真意には説明がほしいところですが、あるいは、大山祇神社内には、大楠には大三島の水霊神が宿るという伝承があったものかもしれません。
 大楠と水霊神の関係にこだわってみるならば、同じく境内にある大楠「能因法師雨乞いの楠」をみるべきかもしれません。『略誌』は、次のように説明しています。

能因法師雨乞いの楠
 伊予守藤原範国の命により祈雨のため大三島へ詣でた能因法師が「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と詠じて幣を奉ったところ伊予国中に三日三晩降り続いた(金葉和歌集)という。宇迦神社前の古木がこれである。

大山祇神社【境内─能因法師雨乞の楠】

大山祇神社【境内─能因法師雨乞の楠─説明】

 能因法師は、雨乞い祈願するにあたって、大山積神がまつられる本殿ではなく、この大楠に「幣を奉った」とあります。また、「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」にしても、本殿神ではなく大楠に宿る神への奉納歌でしたから、能因法師は、この大楠に、大三島の水霊神(雨を司る神)が宿ることを認識していたものとみられます。
『略誌』は、「宇迦神社前の古木がこれである」と書くのみで説明がありませんが、宇迦神は龍神で、ここに三嶋龍の祭祀があるようです。『大三島詣で』は、この宇迦神社について、次のように書いています。

宇迦神社
鎮座地  本社境内(放生池の島)
祭 神  宇賀神
例祭日 三月十五日
 木造・素木・流れ造り・屋根銅板葺き。池をはさんで木造・素木・屋根銅板葺きの拝殿。現在の社殿は昭和五十七年十二月新築。
 例祭のほか、本社の例大祭にさきだち、旧暦四月十五日から二十一日までの七日間、大祭期間中の好天を祈る祈晴祭が、当日晴天のときには旧暦四月二十四日に祈晴奉賽祭が行なはれ、その神饌は放生池に投供される。
 古来祈雨・祈晴の霊験あらたかな神社として信仰されており、雩の神事には安神山頂の龍神社にお籠りをし、つづいて宇迦神社の放生池(土地の人が、べだいけんと呼ぶ)をさらえ、境内で千人踊りをした。

大山祇神社【境内─宇迦神社】
▲放生池の中島にまつられる宇迦神社

 かつて、勅命によって旧社地(横殿宮)から新社地(現在地)へ遷宮するにあたって、先住の蛇神(大蛇)を放逐し、安神山の頂上に龍神(龍王)をまつった、また、この大蛇放逐を機に放生会をはじめたと書いていたのは『三島宮御鎮座本縁』です。この放生会開始には、当時の小千(越智)玉澄による、大三島の先住神に対する鎮魂の想いが込められていたことはいうまでもありません。
 その放生会ゆかりの池(放生池)の中島にまつられるのが宇迦神社ですが、これは、安神山頂の龍神社の里宮的境内社でしょう。雩[あまごい]の神事が、安神山頂の龍神社へのお籠もりから宇迦神社の放生池をさらう(掃除する)ことというように、一連の神事としてあることが、宇迦神社の性格をよく表しています。
 この宇迦神社は「古来祈雨・祈晴の霊験あらたかな神社」とあります。『本縁』は、保延元年の「祈晴」に格別の神威を表したのは大山積神(大山祇神社本殿神)としていて、「古来祈雨・祈晴の霊験あらたかな神」は、宇迦神(三嶋龍)か本殿の大山積神のどちらなのかといった根本的な問いを喚起させます。こういった自己矛盾を内胎したまま、あるいは口を閉ざしたまま、「日本総鎮守」、「四国唯一の国幣大社」(『大三島詣で』)などと自賛的に語るのが大山祇神社(の現在)です。
 もっとも、こういった矛盾する二重祭祀構造を抱えているのは、大山祇神社一社に限られるものではなく、その筆頭と濫觴を挙げれば、いうまでもなく皇祖神をまつる神宮(伊勢神宮)があります。神宮の祭祀思想(朝廷の祭祀思想)に準じた大山祇神社が、神宮の基層神・先住神と同体でもある三嶋龍を祭祀の中心におかなかったこと、このことを、ここで機械的・短絡的に批判するつもりはありません。この程度の方便祭祀の受容は、その祭祀氏族である越智氏が生き延びるためには、必然の受容であっただろうと想像されるからです。
     *
 大三島の祭祀表層からは消えた三嶋龍でしたが、この神は、大水上神社の伝承においては、滝宮神・滝神であるとの主張がなされていました。讃岐国では、その名も滝宮神社に、まさに滝神である瀬織津姫神の祭祀がみられますが(観音寺市大野原町井関)、この滝神を大三島に見いだすことは現在できません。
 大山祇神社の神仏習合時代、月光山神宮寺の最盛期には二十四坊があったとされます。『本縁』は、天正五年(一五七七)には「検校東円坊、院主法積坊、上大坊、地福坊」の四坊しか残っていなかったとしていて、早くに廃絶した坊が多かったことが記録されています。ちなみに、『大三島詣で』は、往時の二十四坊の名を、次のように記録しています。

泉楽坊・本覚坊・西之坊・北之坊・大善坊・宝蔵坊・東円坊・瀧本坊・尺蔵坊・東之坊・中之坊・円光坊・新泉坊・上臺坊・山乗坊・光林坊・乗蔵坊・西光坊・宝積坊・安楽坊・大谷坊・地福坊・通蔵坊・南光坊

 この中で、盛衰はあったものの、現在にまで法燈をつないでいるのは、今治市の南光坊(隣接して別宮大山祇神社〔地御前〕がある)と大三島の東円坊の二坊ですが、二十四坊のなかに「瀧本坊」があったことが、大三島におけるわずかな滝神祭祀の痕跡といえるかもしれません。
 瀧本坊は、熊野における那智大滝を統括していた坊名としてもあります。しかし、現在、この熊野・那智との関係を記した文書を拾いだすことはできません。したがって、以下は、わたしの想像ということになります。

大山祇神社【本殿+安神山】
▲安神山

 大山祇神社の神体山で、龍神社を山頂にまつる山が安神山ですが、この山は大山祇神社本殿およびかつての神宮寺(現在の祖霊社)の右後方に聳える山です。神社側からみて、この山の背後にある、もう一つの神体山・鷲ヶ頭山との間にあるのが、「入日の滝」です。瀧本坊は「滝」にちなむ坊名とみられ、大三島において、修行・信仰の対象となりうる滝は、この「入日の滝」をおいてほかにはありません。「入日の滝」は、大山祇神社のかつての神域内に存在していたはずで、現在、ここには無住の滝山寺(入日の滝寺)があり、その本尊は十一面観音とされます。滝山寺には古い供養塔などがみられ、その鎮守社は小さな祠であるものの、祠内には「出雲大社」の神札がみられます。

滝山寺【入日の滝寺】

滝山寺【入日の滝寺】Ⅱ

滝山寺【入日の滝寺】Ⅲ

滝山寺【入日の滝寺─出雲大社神札】
▲出雲大社(滝山寺境内)

 大山祇神社一の鳥居の横にある観光案内板は、この「入日の滝」について、「鷲ヶ頭山の山麓にあり、高さ一六m男瀧女瀧にわかれている。その飛沫が夕陽に映じて美観を呈する夢幻境で俗塵が洗われる。古くから蛍の名所として知られている」と書くのみで、滝山寺にしても入日の滝にしても、その歴史をたどることはできません。大山祇神社の現由緒書においても、この滝を解説したものはなく、大山祇神社は「入日の滝」とは無関係としたがっているようです。
 しかし、現地を訪ねてみれば瞭然なのですが、ここは観光案内が「俗塵が洗われる」と書くように、明らかに聖域・霊域です。「入日の滝」の滝神は、その本地仏を十一面観音とし、出雲大神を滝神と見立てているようです。この神仏習合関係は、熊野・那智と酷似しています。那智において、大滝の神(飛滝権現)の本地仏は十一面千手観音でしたし、熊野那智大社は、那智大滝の神を「大己貴命」、つまり、出雲大神としています。また、滝山寺の御詠歌には、「大三島西国第一番台[うてな]の瀧山」とあり、これは、熊野那智(那智山青岸渡寺)が西国三十三観音巡礼第一番札所であったことを擬したものでしょう。「入日の滝」の滝神が、熊野那智の滝姫神を投影させたものであることは明らかで、熊野那智の滝信仰が、大三島の「入日の滝」にはまるごと再現されているようです。

滝山寺【入日の滝寺─本堂】

滝山寺【入日の滝寺─御詠歌】
▲滝山寺本堂と御詠歌

滝山寺【本堂─十一面観音】
▲滝山寺本尊

 三嶋龍神の「雨」を司る神格は大山祇神社境内の「宇迦神社」にみられ、三嶋龍の滝宮神・滝神としての神格は「入日の滝」にあるとみられます。
 滝山寺は、かつての瀧本坊を再興したものだろうという仮説を、ここに記しておきます。
 この大三島の滝は、その命名を「飛沫が夕陽に映じて美観を呈する」ことに拠っているとのことです。ここで想起されるのは、『古事記』の天孫降臨段における、ニニギのことば──「此地[ここ](竺紫[つくし]の日向[ひむか]の高千穂[たかちほ]の久士布流多気[くじふるたけ]…引用者)は韓国[からくに]に向ひ、笠沙[かささ]の御前[みさき]に真来[まき]通りて、朝日の直刺[たださ]す国、夕日の日照[ほで]る国」でしょうか。『古事記』の表現にならえば、入日の滝は「夕日の日照[ほで]る」滝となります。「笠沙の御前」には、天孫に国譲りをすることになる「大山津見神」がいます。
 因果な話となってきました。わたしが訪ねたときは滝の水量はわずかでしたが、それでも、この「夕日の日照る」滝に、大三島の最重要な神の姿を投影させることはじゅうぶん以上に可能でした。

滝山寺【入日の滝寺─入日の滝】
▲夕日の日照る滝──入日の滝
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Author:風琳堂主人
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なお、もし記事等の引用・転載をされる場合は、出典名として「月の抒情、瀧の激情」を必ず明記してください。盗作(的表現行為)は、みんなで無くしましょう。
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