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黒嶋(黒島)神社──堂々たる瀬織津姫祭祀

 伊予国一宮・大山祇神社や讃岐国二宮・大水上神社における瀬織津姫祭祀の、ある種「不遇」のさまをみてきた眼からすると、意外とも当然ともいえるのですが、境内の石碑に堂々と顕彰するように「瀬織津姫神」の名を刻んでいるのが、観音寺市の黒嶋神社(黒島神社)です(観音寺市池之尻町二八一)。

黒嶋神社【社標】

黒嶋神社【鳥居+扁額】

黒嶋神社【参道】

黒嶋神社【拝殿】

黒嶋神社【社殿全景】

黒嶋神社【本殿】

黒嶋神社【本殿─扁額】

 参道の社標には「延喜式内讃岐二十四社之一 黒嶋神社」とあり、しかし、大鳥居や本殿扁額には「黒島神社」と「池宮神社」が並記され、両社の合祭をもって「黒嶋神社」といっているようです。
 池宮神社(祭神:瀬織津姫神)は明治期に黒嶋神社に合祀された社とのことですが、しかし、氏子崇敬者の人たちは両社に優劣をまったくつけておらず、両社を「同格」とみなしていることが扁額の並記表現に表れていますし、これは、境内の「記念碑」の文面からも読み取ることができます。以下に、全文を写しておきます(適宜句読点を補足)。

記念碑
 黒島神社は、創建年代は詳らかではないが、清和天皇貞観式(八七一年)讃岐国五社の一と伝えられ、延喜式(九二七年)讃岐国二十四社の一として県内有数の格式を誇り、古より地域内外を問わず深い信仰を集め、明治五年村社に列し、大正六年郷社に昇格、その神威高きたたずまいを損なうことなく、今日までこの地の産土神として、変わらぬ崇敬を寄せられている。
 御祭神は闇山津見神・瀬織津姫神の二柱を祀る。
 旧社殿は、明治二十七年の大火の折造営され、爾来幾星霜を経て老朽損傷が甚だしく、氏子崇敬者より社殿建設を望む声が高まり奉賛の寄進を得て、本殿の屋根葺替・修築、釣殿・幣殿・拝殿の新築、並びに参道整備に取り組み、着工以来二年、斯くも厳しく成し終え、後世に誇るべき平成の造営として、茲にめでたく竣工に至った。
 これを記念して、この碑を建立する。
    平成十四年四月吉日

黒嶋神社【境内─記念碑】

 氏子崇敬者による、わが「産土神」への信奉の強さと、それに基づいて「後世に誇るべき平成の造営」を果たした自負がよく伝わってくる文面です。合祀された池宮神社ならば境内社にまつってもよかったはずですが、石碑文面は、池宮神=瀬織津姫神を黒島神社の主祭神の一神であるかのごとき主張をしています。「御祭神は闇山津見神・瀬織津姫神の二柱を祀る」との断言に、瀬織津姫神をただの合祀した神とみなしていない氏子の人たちの思いが込められているようです。
 ちなみに、静岡県御前崎市佐倉にある桜ヶ池、この池神・水霊神をまつる池宮神社にも瀬織津姫神はまつられています。御前崎の池宮神社においては、瀬織津姫神は水霊神であると同時に桜神でもありますが、黒嶋神社(黒島神社)においても、この神を単純に大祓神としていないところがいいです。讃岐地方における「池」は、多くが空海ゆかりのため池のことでしょう。このため池の守護神は、生活の上からいってもとても大事にされていただろうことが想像されます。
 ところで、黒嶋神社(黒島神社)祭神のもう一柱「闇山津見神」ですが、この神を主祭神格でまつる神社は全国的にも珍しいようにおもいます。この神は、最初から黒嶋神社(黒島神社)にまつられていたのだろうかといった、不遜かもしれませんが、やはりそういった疑問は残ります。
 闇山津見という神については、『古事記』に、次のような記述があります。イザナミが神々を生んだ最後にカグツチを生むも、陰部を焼いたため亡くなったことに怒ったイザナギが、カグツチを斬り殺したあとの話です。

殺さえし迦具土神の頭[かしら]に成れる神の名は、正鹿[まさか]山津見神。次に胸に成れる神の名は、淤滕[おど]山津見神。次に腹に成れる神の名は、奥山津見神。次に陰[ほと]に成れる神の名は、闇[くら]山津見神。次に左の手に成れる神の名は、志藝[しぎ]山津見神。次に右の手に成れる神の名は、羽山津見神。次に左の足に成れる神の名は、原[はら]山津見神。次に右の足に成れる神の名は、戸[と]山津見神。

 殺された迦具土神の体から成った神として、山神(山津見神)を細分化した神々の名が八神ほどみられますが、迦具土神の「陰[ほと]に成れる神の名は、闇[くら]山津見神」とあります。蛇足ながら、迦具土神には「陰[ほと]」があるらしく、この神には女神伝承もあったのかもしれません。
 さて、錯綜とした山神八神のなかから、特に闇山津見神をもって祭神とするには、なにか理由がなくてはいけません。ちなみに、『日本書紀』では、一書(第六)に、「(カグツチを斬った)剣の頭[たかみ]より垂[したた]る血、激越[そそ]きて神と為[な]る。号[なづ]けて闇龗[くらおかみ]と曰[まう]す。次に闇山祇[くらやまつみ]。次に闇罔象[くらみつは]」と書かれます。
 闇山津見神=闇山祇神の母胎はカグツチという神にあるようですが、『書紀』一書(第七)には、イザナギがカグツチの体を三つに斬ったとして、次のような記述もあります。

一書(第七)に曰はく、伊弉諾尊、剣[つるぎ]を抜きて軻遇突智[かぐつち]を斬りて、三段[みきだ]に為[な]す。其[そ]の一段[ひときだ]は是[これ]雷神[いかづちのかみ]と為る。一段は是大山祇神[おほやまつみのかみ]と為る。一段は是高龗[たかおかみ]と為る。

 岩波書店版『日本書紀』の「大山祇神」に関する頭注は、「ヤマツミとは、山の神。第六の一書の剣の頭から垂る血によって成る神のクラヤマツミにあたる」としています。一書(第六)には「闇龗[くらおかみ]」、一書(第八)には「高龗[たかおかみ]」の名がみられましたが、両神は貴船神社の祭神としてよく表示されます。この二つの「一書」は類縁の伝承を拾ったものとしますと、闇山津見神と大山祇神は、頭注がいうように、ほぼ同神と見立ててよいのかもしれません。
 このような仮説を黒嶋(黒島)神社にあてはめてみますと、同社祭神は大山祇神と瀬織津姫神となり、これはとても奇妙な表示ということになります。なぜなら、九州の求菩提山・鬼神社や北海道の樽前山・樽前山神社にみられたように、明治期、それまでまつっていた瀬織津姫神を消去・差替するためにつかわれたのは、ほかでもない大山積神(大山祇神)だったからです。消去しなければならない神と、そのための方便の神が並んでいるのは、ちょっと具合がよくないだろうとなります。
 明治期(以降)、黒嶋(黒島)神社においても、その主祭神表示から瀬織津姫神を消去するようにという、当局関係者の圧力がなかったとはとてもおもえません。「記念碑」の刻文は、そのあたりの過去の経緯を露わに語りませんけれども、現在、黒嶋神社(黒島神社)の「御祭神は闇山津見神・瀬織津姫神の二柱を祀る」と断じていて、ここには祭神名をうたうことにおいて、衒[てら]いは微塵もないようです。
 この一行には、氏子崇敬者諸氏による、池宮神も黒島神も同神であるという主張が暗に込められているのではないかとも読め、あるいは、一歩退いても、瀬織津姫神への氏子諸氏の信奉の強さが確実に込められているとはいえそうです。
 参拝者の多くは、この石碑の刻文を読むこともあるはずで、このように神の名が明記されてこそ、そこにまつられる神は「浮かばれる」というものでしょう。関係者だけわかっていればそれでよいといった閉鎖的な神社祭祀が多いですが、祭神の表示なきは、そこに神はまつられていないのとほとんど一緒です。その意味で、黒嶋神社には、参拝者一般に開放的に告知している姿勢があり、ここにまつられている神々もさぞ喜んでいるにちがいないとおもわれたのでした。
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